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zoom RSS 満開になった秋間梅林と梅の回想。  2009/3/10日

<<   作成日時 : 2009/03/13 23:16   >>

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群馬は和歌山に次いで梅の生産が多いところです。私の住まいのそばには、箕郷梅林・榛名梅林・秋間梅林と大きな梅林が沢山あります。いずれも観光梅林ではなく、梅を生産出荷する為の梅林ですが、この時期だけは観光用に開放しています。今日はその秋間梅林に行って来ました。

                  山頂付近の紅梅
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秋間梅林へは山頂まで車で行けるコースと、山裾から梅林の
畑を歩いて登るコースがあります。

                  歩いて登る途中の梅畑
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ほのかな梅の香りが漂ってくる道は、春ののどかさを
感じる道で、道の両側こんな梅畑が広がっています。

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なだらかな梅畑の山頂に着きました。周りには
土産屋さんが幾つか並んでいます。

                       山頂付近からの風景
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昭和20年代の後半の頃、私は中学校に入り卒業しました。
その中学校は幾つか並んで建っていた兵舎を、改造して造ら
れた建物でした。米軍の爆撃で一番前の兵舎と、一番後ろの
兵舎を残して全部破壊され、残った建物の二つが中学校の
校舎になりました。

                       公園になっている山頂付近
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前の校舎は職員室と3年生用の校舎になり、後ろの校舎は
1年生と2年生の校舎になりました。その間はおよそ100m
以上もあり、スノコを敷き屋根だけが付いた長い渡り廊下が
ありました。その廊下の左側には桜の木が沢山植えてあり
右側には梅の木が植えてありました。

                       公園の紅梅
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食料事情が悪かったその当時、梅の実はよく取って、生で
食べました。その頃は今のように給食などありません。昼食
の時間になるとクラスの数人はいつも居なくなります。その
生徒たちは学校の水道の所に行き、水を飲み梅の実が
なっている頃はスッパイその実を食べて昼食代わりにしていました。

                      公園あたりからの梅畑
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教室で弁当を食べている生徒は、みんな腕で弁当を隠して
食べていました。その弁当の中味を見られたくないからです。
弁当の中味はサツマイモやダイコンを煮たものだったり、
お米でも半分以上が芯のあるボソボソとした麦ご飯だったからです。

                       公園の紅梅
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私の前の席にチヨと言ういつも淋しそうに、悲しそうにしている
女の子が居ました、私は良く杉鉄砲で後ろから、彼女の髪の
毛を狙い、パチンパチンと撃って、いたずらをしていました。
杉の実の玉ですからそれ程、髪の毛に当たっても痛くは無い
筈なのですが、良く彼女は泣いていました。

                        梅畑の道
画像


そのチヨも昼は水を飲んで我慢をしている子でした。チヨの
家は父親が大酒飲みで、普段は良い父親なのですが飲む
と途中で止めることが出来ず、暴力を振って母親にもチヨ
にも当たります。私の家はそのあたりでは一番大きいよろず
屋で、酒も売っていました。ある日チヨが一升瓶を持って私の
店の前に立っていました。酒を計り売りで買いに来たようなの
ですが、チヨは何も言えずに目を赤くして立っているだけでした。

                        梅畑の道
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チヨの家では私の家にまだ払って無い代金が沢山残っていて、それを払わなくては何も買うことが出来ないことをチ

ヨは知っていたのですが、父親の暴力に耐えられず買いに来たように見えました。私は黙って一升瓶を受け取り、

店を一人で切り盛りしている母親(継母)に内緒で、店の奥からおよそ五合ほどの酒をビンに入れてやりました。「こ

のくらいでいいか?」と私が訪ねると、彼女はしゃくりあげて泣きながら、黙って頭をチョコンと下げて持って行きまし

た。

                       山頂からの梅畑
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それから1ヶ月ほど過ぎた頃、チヨは横浜の親戚の家に貰われて行き、学校には来なくなりました。

そして40年ほど過ぎた頃、クラスの同窓会が始めて開かれることになりました。梅の花が満開に咲く校庭をみんな

で歩き、近くの同級生がやっている料理屋で、会が始まりました。その席に彼女もやって来ました。昔の淋しそう

な・悲しそうな顔ではなくて、そう言うものを乗り越えた貫禄を備えた風で、私の隣に座りました。



    =同級生がワイワイ ガヤガヤと昔話に花を咲かせている席で=

     チヨ・・・「あの時は有難うね、嬉しかったよ、今日はあの時のお礼を、信夫に言いたくて
           来たようなものなのよ、私は」

     私(信夫)・・・「何のことだい・・・」

     チヨ・・・「酒を貰ったことよ、もう忘れた。信夫は継母に叱られなかった・・・
          それが心配で、心配で仕方がなかったの、ずーっと」

      私・・・「ああ、そのことか、実は継母は知っていたようだったけど、お前が泣きながら買いに来て
          可哀想だったと思ったんだろう、俺にはなんにも言わなかったよ・・・
          多分ね、お袋が店にいても、あんたが泣きながら黙って店の前に立ていたら、やっぱり酒を
          渡したと思うよ。」 

     チヨ・・・「そうだったの、いい継母さんだったようで、良かったね、で今はどうしてるの」

      私・・・「後妻に来て、直ぐに親父に死なれたからね、苦労をイッパイして、昭和から平成に変わる頃に、
           亡くなったよ・・・でもチヨなー、継母も俺も絶対泣かなかったよ!!。泣いてしまったら、
           それまでの苦労が、全部無駄になりそうな気がしたから・・・」

     チヨ・・・「・・・・・・ 。 信夫んちの墓は、私んちの墓のそばだよね」

      私・・・「そうだよ、お前んちの少し上の道側だ」

     チヨ・・・「クラス会が終わったら、墓参りに行こうかなー」

      私・・・「じゃー一緒に行こうか、きっと喜ぶよ、おふくろは・・・
          そう言えば、俺もチヨには謝らなくてはー。よくいじめてゴメンな
          悪気は全然なかったんだけど、 かまいたかったんだよ、あの頃は」

     チヨ・・・「解ってました、そんなことは・・・・・ただ私は泣きたかっただけなの、泣けば少しだけ
          楽になったのよ」



    ===同級生たちもすっかり昔の中学生になり、童心に帰って話が尽きませんでした。===




 国道の真っ正面に、雪をまだ幾筋も残した男体山が見える高台があります。そこがそのあたりの人達の墓地で、

 つい数年前まで全部土葬でした。チヨも私も黙って、貧しかったけれども、みんなが目標に向かって瞳を輝かして

 いた頃を懐かしみながら、線香をあげて帰りましたが、なぜか二人とも笑顔でした。

画像画像















画像



  梅の花を見ると、そんな昔の想い出が次々と頭をよぎります。
  日曜出勤の代休はそんな想い出との散歩道になりました。


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コメント(35件)

内 容 ニックネーム/日時
今晩は。梅の実の思いで、とても心温まる話をありがとうございます。
私の生まれた町は周りに自然があまりなく、梅や桜などの花と自分の思いでが結びつく思いではありません。
終戦後の食糧難も実体験がなく、親から話を聞くのみです。
でも、苦しかったことは、それを乗り越えることができれば、時間がたては、それは輝かしい思い出になるのですね。
今日のお話は苦労して年齢を積み重ねた方のみが、語ることができる物語でした。
本読みと山歩き
2009/03/14 05:33
梅がきれいに咲いていますね。新潟では、梅園はないようです。
満開の花は、記憶を呼び起こさせてくれますね。
春を楽しむのに、まずは晴れて欲しいです。
さすらい人
2009/03/14 08:36
 今日は、私も同年代のものとして終戦後の辛い、苦しい思い出を経験しています。しかし、今ではそれが懐かしい思い出として、回顧されるのは現在が幸せすぎるからでしょうか。一応、生活のための衣食住は揃い、ある程度好きなことがしていける幸せは、ただ感謝あるのみです。紅梅と梅林の物語からは貧しかった、我々の幼少期の思い出が脳裏に浮かんできます。
ロ−ラ−
2009/03/14 09:41
素晴らしい梅林ですね

凄いです

見応えありますね
ryuji_s1
2009/03/14 09:50
本読み さん、お早う御座います。
まだまだ若い、本読みさんには、昔の話など面白くないかも知れません。ただ
夢に向かって邁進してください。その夢が沢山ある人は、幾つになっても青春真っ只中と思います。私のように回顧することが多くなると言う事は、やはり歳なのでしょうか??。まだまだ目標をイッパイ持って明日を生きたいと思うのですが・・・。
インレッド
2009/03/14 10:42
さすらい人 さん、お早う御座います。
ここのところ毎日新潟地方の天気予報を眺めていますが、雪や雨マークばかりで、なかなかそちらに行く事が出来ません。次の3連休の頃まで雪割草も冷凍保存されていれば嬉しいのですが。
インレッド
2009/03/14 10:46
ローラーさん、お早うございます。
そうですねローラーさんは同年代でした。でもそちらは大農家で食べることはあまり心配なかったのでは??。
その時代の利根川べりは、蓮華や菜の花で美しかったことでしょうね。
人も自然も、少し貧乏だったころの方が美しかったような気がします。

インレッド
2009/03/14 10:56
ryuji_s1さん、お早う御座います。
始めまして かな??。
ご訪問有難う御座います。
本当はあと2ヶ所の梅林も近くですので、この日のうちに見に行くことは出来たのですが、少しノンビリと感傷に浸っていたので、ここだけにして帰りました。  暇がありましたらお出かけ下さい。
インレッド
2009/03/14 11:02
おはようございます。
実を採るための梅林、美しさと共にたくましさを感じます。
良い絵です。
梅にまつわる思い出も身につまされる想いで見させて頂きました。
自分は終戦の年に異国で生まれ、終戦と同時に引き上げてきた年代です。
インレッドさんより少し下ですが、一家で身を寄せた実家の佐渡で幼年期を過ごしました。いつもお腹を空かせていたように覚えています。
その後、佐渡を離れましたが、弁当を腕で隠しながら食べたと言うのも懐かしく思い出されます。
今思い起こせば、暖かい時代でしたね、あの頃は。
甘納豆
2009/03/14 11:50
わあ、嬉しい! ここは先日行ってきた梅林ですね♪
孫達と一緒に梅の間の道を辿りながら、ワイワイ楽しく歩いてきたのです。
カメラを忘れてしまったのですが、インレッドさんのおかげでもう一度
綺麗な花に再会できました。

厳しい経済状況になってきたとはいえ、戦中戦後の時代とは比べ物にならないほど物は豊かな今、そのありがたさにずっと気がつかないできた私達。
インレッドさんの昔の思い出の話は、そのお友達にとっても辛くも懐かしくもある思い出に違いないのでしょうね。
貧しさや苦労にもめげないで人生を切り開いてこられたお友達や、その時代の方々の「強く生きる力」を学ばなければいけないと思いました。
けっこ
2009/03/14 12:58
群馬の梅林も見頃になりましたね。観光の梅園でなくとも一面に広がる梅の花は見応えがあります。
昔を回想する話を織り交ぜながらの展開がなかなかオシャレです。
私もインレッドさんと大体同年代です。
食糧事情の悪かった事は今の飽食日本では考えられない事ですね。
お昼になるといなくなり梅の実をかじりながら水でお腹を満たした話は泣けます。
弁当の蓋を立て新聞で隠して食べた・・同じ事をしていたのですね。
私は満州からの引き揚げの時に食べるものが無く木の葉や実、小動物、コーリャンなどを食べながら命を繋いできました。まだ小さかった妹は食べるものが無く衰弱して死にました。私は一人っ子になりました。皆兄弟が沢山いる中で子供のころは寂しかったですね〜
昔の話は尽きませんがチヨさんとの再会の話感激的ですね。胸の奥のシコリが取れた想いだったのではないでしょうか。
ミニミニ放送局
2009/03/14 14:23
甘納豆 さん、今晩は。
甘納豆さんも引揚者だったのですか、私の家内も旧満州の奉天生まれでした。

あの頃は人一人殺したら「大事件」だったように思うのですが、今は日常茶飯事ですね。人の心も、空も周りの風景もあの頃の方が美しかったような気がします。これからの日本は少し貧乏になって、節約する心と助け合う心を戻すと良いですね。
インレッド
2009/03/14 17:52
けっこ さん、今晩は。
先日来られた時は、お孫さんと一緒でしたか、それでは楽しかったでしょうね。

今、考えて見るとこの頃の方が、みんな貧乏でしたが、助け合い労わりあって生きていたような気がします。そんな時代だから「天地人」の「義」「愛」なのかも知れません。政治かも国民も50年ほど前の日本人に帰ったほうが良いのかも知れませんね!!。
インレッド
2009/03/14 17:58
素敵な梅林ですね。思い出もたくさん、インレッドさんの初恋かな〜なんて思いながら拝見しました(^^ゞ
同窓会でお互いにお話が出来て良かったですね。
戦前、戦中、そして戦後しばらくは日本が大きく変わっていく激動の時代でしたよね。そんな中、朝鮮動乱のあと生まれた私の年代は好景気となって、随分環境が変わってきたのだと思います。当時の名残りから今に至るまで、なんて大きく変わってきたのでしょう。このネット一つとってみても物凄い変化ですよね。殺伐とした世の中にもなりましたけど、インレッドさんのような思い出話はだれしも持っていることでしょう。梅の実のような甘酸っぱい思い出・・・ふと懐かしさを感じました。
sanae
2009/03/14 19:05
sanaeさん、今晩は。
あれれ、まだこんな所にうろうろしていたんですか??。
ニューホリデーはどうしました。もしかして中止に・・・

チヨも信夫も実は本名そのままです、但し字は少し違いますが・・・
「初恋」ですか、ウーン・・・小さい時からずーっと、近くで一緒
でしたので、あまりそう言う心境ではありませんでしたが、ただチヨが可哀想で可哀想でいつもそんな風に思っていました。でもチヨが居なくなったときは、私も悲しかったですね、それが「初恋」なんでしょうか・・・
インレッド
2009/03/14 19:56
おはようございます。
白梅、紅梅みごとですね。お土産の梅干も外国産が多いですが、ここでなら地元産が買えそうですね。
母は3月10日の東京大空襲で火の海の中から逃れて親戚を頼って厚木にきています。私は戦後生まれで話でしか聞いていませんが、着物と物々交換で食糧を手に入れたりしていたそうです。すいとんは良く食べました。
カスミッシモ
2009/03/15 10:33
ドラマですね、いいお話でした。泣かされます。先輩諸氏のご苦労には頭がさがります。 戦後生まれの私も一層自戒、精進します。
ヤンハー
2009/03/15 13:38
カスミッシモ さん。今晩は。
お母さんは厚木に疎開されていたのですか。私の継母は東京の文京区から疎開に来ていて、父と縁があり後妻として嫁いで来ました。その後直ぐに父が亡くなり、私はその継母に育てられました。都会育ちの継母は田舎暮らしで戸惑うことばかりのようでしたが、すっかり田舎の人になり良く頑張りました。
すいとんなどが食べられるようになったのは、もう少し後になってからでした。卵が一番のご馳走でしたが、月に1度か2度くらいしか食べることが出来ませんでした。
インレッド
2009/03/15 17:56
ヤンハー さん、ご無沙汰しています。
コメント有難う御座います。
こんな記事を書くと年がばれてしまいますね。自分では若いつもりでいるのですが、最近は昔を振り返る記事が多くなりました。年は偽ることが出来ませんね。もう少し冒険登山の記事を多くしなくては・・・。
インレッド
2009/03/15 18:04
インレッドさん よいお話をありがとうございました
インレッドさんの山歩きの背景に この少年時代も一つの礎石として蹲っているのでしょうね
ふっと 遠くの景色が見えたような気がいたします
かめ・ふー
2009/03/16 09:58
私も中学を出たのが昭和39年、3年生になって初めて牛乳が一本給食に出ました。田舎の学校なので部活が終わったときは空腹で泣きたい位でした。
電気店を開いている友人の家に山仲間が集まってはご飯を食べさせてもらっていました。生意気に暗室を持っている奴でして、写真の現像などをやらかして・・・。時々集まっては元気でいる彼のお母さんにお礼を言います。

  癌一つ切って見せると女友    魅
しまふくろう
2009/03/16 10:54
こんにちは。
白梅の紅梅素晴らしいですね。
此処で採れた梅の実で作った物を売ってらっしゃるンですね〜
この頃は国産!と書いてあっても外国の物が多いと聞きます。
此処なら間違いなく地元の物が買えますね♪

良いお話でしたね。
チヨさんとも再会できて良かったですね(*^_^*)
お互い昔の話をすることが出きる今があるのって 素晴らしいことだと思います(*^-^)♪
マリー
2009/03/16 12:29
かめ・ふー さん、今晩は。
山のblogにこんなものを出すのは少しばかり恥ずかしいのですが、最近は歳のせいか、昔を思い出すことが多くなってきました。将来が少しずつ少なくなって来たからでしょうか?。でも山だけは、まだまだ登りたい所が沢山ありますので、ご安心下さい。
インレッド
2009/03/16 17:05
魅 さん、今晩は。
牛乳が1本も飲めた頃はまだ良かったですね。私の頃は、まずくてまずくて飲むことの出来ない、米軍払い下げの脱脂粉乳でした。

     ・・・想い出は 哀しさばかりや 梅の道・・・
                     秋間梅林にて インレッド
インレッド
2009/03/16 17:25
マリー さん、今晩は。
このあたりでは梅は沢山ありますので、我が家でも漬けた梅を食べきれないほど戴きます。でも私は梅は大好きなので、いつもお茶と一緒に戴いています。

実はこのblogは実名で出しています。そんな事をすれば当人には叱られそうですが、今頃はあの世で笑いながら読んでいるかも知れません。チヨはマリーさんのお父さんが亡くなる、少し前に亡くなりました。そのレクイエムと思いアップしました。
インレッド
2009/03/16 17:33
いや、今回も泣かされました。B子ちやんの物語以来の涙です。昼休みなのにポロポロと涙が溢れて…同僚たちに見られたかもしれませんが「おかまいなし」状態でした(^o^汗)
当時は日本中どこでもこんな情景があり、そしてまたそんな人情話がどこにも転がっていたのだと思います。
「100年にいちどの経済不況」「アメリカ主導の物量消費経済の終焉」と叫ばれるなかインレットさんのおっしゃるとおり50年前に戻るべきだとおおいに同感しています。とくに江戸時代から昭和初期まで、日本人は助け合い、労わり慰めあって生きてきたのですから。
日本人は我慢強く、そしてまた貧乏には慣れているとはいうものの、悲しい思いと苦しみは避けたいものです。しかし心を50年前に戻しても、この豊かさはそう簡単には崩されないとも思うのです。ど
うかこれからもたくさんのいい思い出話をお聞かせください。
酒呑童子
2009/03/17 16:22
酒呑童子 さん、今日は。
ご訪問有難う御座います。
日本人は敗戦後一生懸命働いて、爆走しました。その代わりに富を得ましたが、大事なものを見失いました。もう飽食の時代は終わりました。若い人も年配の人も、青空を見上げて、大地をしっかり踏みしめて、本来の「熱い力」を蘇えさせるべきと思います。
インレッド
2009/03/18 13:17
2/1 
インレッドさんご返事ありがとうございました。私もまさに同じことを考えていました。あつかましいことではありますが三年前中学校だよりに投稿した文章を載せさせていただきますm(_ _)m
「『人の心に育てたい、自他愛の苗』 PTA会長 酒呑童子(^o^) 入学式でも申し上げたことですが、最近の児童を狙った犯行は枚挙にいとまがありません。報道機関が連日のように新たな事件の報道をくりひろげています。 子供が狙われる理由は言うまでもなく「力で押さえつけることができるから」にほかなりません。非力な子供をだまし、油断させ、強引に脅して言うことをきかせる、卑劣の極みであり、子供を持つ親として憎むべき敵です。 なぜこうなってしまったのか?先日の前橋市PTA連合会総会の席でも、会長挨拶の中で「原因がわかりませんが…」と言われていましたが、私には思いあたたるのです。 それは価値観の変化。焦土から必死で再興を果たすべく立ち上がった昭和二十年代。がむしゃらに走り始めた三十年代、猛烈という言葉がはやりそれを合言葉のようにして高度成長を遂げた四十年代。
酒呑童子
2009/03/18 14:25
2/2
その結果、当然の返礼として大気や土壌の汚染、水質の汚濁というしっぺ返しを受けなければならなかった五十年代六十年代。公害という報いです。多くの尊い犠牲を払わなければなりませんでした。 私はこれにこそ人心の荒廃がある、と確信して疑いません。自然の破壊、人体の汚染。人の心もそれと同じに汚され、腐敗してきました。効率を求め、利益を追求し、勝ち組めざして突っ走り続けた結果が「自分だけよければそれでいい」「他人のことは知らない」の自己中心です。人としていちばん大切なもの、日本人が日本人として世界に誇れる他人を思いやる優しい心をどこかに置き忘れてきてしまったのです。 これからの教育は、深山に分け入り一本一本植林し、はるか遠い海を育てるような、長期的で手厚い価値観の植付けが必要です。豊饒でたおやかな海、その心を人々が取り戻すことができる、そんな教育が行われることを切望してやみません。学校でも地域でも、そして家庭でも」
酒呑童子
2009/03/18 14:26
酒呑童子 さん、今晩は。
全くその通りですね。「自分さえ良ければ・お金があれば何でもできる」今の人は全く自己中心で、刹那的です。B子の親のように、お金も無いのに欲しいものは次々と買って、ついには破綻して、子供のことは全く考えずに、離婚して好きなように暮らしています。我が家で面倒見ているときでも、当人たちはパチンコをして遊んでいます。これでは親とは言えません、子供と同じです。お金よりもっと大事なものがあることを知った時は、もう遅いのですが・・・
ライブドアーの方や小室哲哉のように10億あっても11億の借金があれば、私より貧乏です、そんな虚飾に気が付かないのが情けないですね。
深山に分け入り、はるか遠い海を考える・・・良い言葉ですね、肝に銘じます。
インレッド
2009/03/18 17:47
ミニミニさん、今晩は。ミニミニさんも旧満州生まれでしたか、私は日本で生まれましたが、家内は奉天生まれです。新聞で弁当を隠して食べていましたか、この頃は皆同じようなことをやっていたのですね、月にい1・2回卵を食べることが出来ましたが、それが一番のご馳走でした。チヨはいつも何をしているのだろうかと心配していましたから、同窓会で会えたときは、本当に嬉しかったです。彼女もすっかり大きな商店の奥さんになって、元気に働いていたのですが、2月に亡くなったと先日報せがありました。
インレッド
2009/03/19 09:25
インレッドさん こんにちは
チヨさんとの物語涙がこぼれてしまいました…秋間梅林は2
回行っていますがこんなに綺麗で広かったのですね。紅梅
白梅とっても構図よく綺麗に撮れていますね。また行って
みたいです。昨日は陽気に誘われて角田山へ浦浜にはカタ
クリ、イチゲ、雪割草(白)夏ボウズなど沢山咲いていま
した。ほたるの里入り口には植えた雪割草色とりどり可憐
に太陽の光を浴びて咲いていました。
小桜
2009/03/19 11:54
小桜 さん、今晩は。
秋間梅林に2度も来られたのですか、有難う御座います。
21日あたりに間瀬口辺りから、樋曾山に友達と行こうかと思っています。
その次の週あたりに今度は角田にしようかと思っているのですが、そんなにもう咲いているのならば、五ヶ峠から樋曾山に行き、直ぐ戻って桜尾根から角田に行こうかなー。どうでしょうか??。
インレッド
2009/03/19 19:44
インレッドさん こんにちは
明日は樋曽山辺りに来られますか?7日は雪割草ぼちぼち
オーレン カンアオイ等咲いていました。18日はもう浦浜で
カタクリ(沢山)雪割草が斜面いっぱいに咲いていました。
例年より1週間以上早い様です。樋曾山も雪割草咲いている
事でしょう…例年ですと樋曾山は4月5日ころにカタクリと
イチゲ 雪割草の花園は見事なんです。桜尾根を登り灯台に
下りるコース 友達のお勧めです。楽しんで行って下さい。
先週は八溝山と大滝根山に行ってきました。
kozakura
2009/03/20 17:37
kozakuraさん、有難う御座います。
八溝山の少し栃木よりが私の生まれ故郷です。そこの仏峠には哀しい物語のあるところです。作曲家の船村徹が生まれたのもその側です、彼が作った「別れの一本杉」はそのあたりの情景にピッタリと思います。
インレッド
2009/03/20 18:13

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満開になった秋間梅林と梅の回想。  2009/3/10日 インレッド残照録/BIGLOBEウェブリブログ
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