インレッド・・・私の山物語

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help リーダーに追加 RSS 新潟・長野・群馬県境の山、白砂山・・・2007/9/22日)

<<   作成日時 : 2007/09/23 22:00   >>

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折角の3連休も天気が良い日は、15日だけの様子、遠くの山に遠征やらと、さんざん迷った挙句、近くの県境の山、白砂山に登ることにしました。

                  野反湖の奥に登山口はあります
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     吾妻の渓を登りて
     白砂川の水清く
     熟れ柿うつす字いく戸
     小雨の里と誰がよびし ・・・  我が山河 草津旅情の歌 より
   
      その小雨の里を越えて、青い青い湖の野反湖に着きます。
      野反湖の端にある登山口から秋の空に向かって登り始め
      ました。

                  一箇所だけ沢を渡ります。
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       沢を渡り秋山郷の切明へ抜ける古からの峠、地蔵峠に
       向かいます。この深山の峠は、昔から杣人や山菜取り・
       すねに傷ある人の通る道でした。険しい道ですが良く
       踏み固められた道で,それだけが往時を忍ばせていました。

                  地蔵峠
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       混合林の道には鱗雲が流れて、秋の気配を
       感じました。

                 林道
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       堂岩山に着くと、輝く草原と青い空と少し紅葉の始
       まった尾根歩きになりました。

                 堂岩山方面
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       草津の山々や志賀・赤城の山々を眺めながら
       二つほどピークを越します。

                 尾根の先に白砂山
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                 白砂山の直下
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                 登って来た道
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     山頂に着いて直ぐに、その先の佐武流山に向かいました。
     3つほどピークを越えて、佐武流山に着きますが、踏み跡は
     殆ど無く、たまに赤テープがあるだけの、かなりの藪漕ぎに
     なり、笹と這松に足をとられ悪戦苦闘しながら何とか一つ目
     のピークに着きましたが、背の高い藪漕ぎになり、ここで諦め
     白砂山に帰ることにしました。

                 諦めたピークより佐武流山方面
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     白砂山に戻ると伊勢崎からと言う3人の若者達
     が山頂に居りました。
     この白砂山は平地からはあまり見えませんが
     少し高い山に登ると、冬は真っ白い尖った山が
     際立って目立ちます。隣の佐武流山とともに
     200名山になっています。

                 山頂に居た若者達(画像は了解を得ています)
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                 秋の始めの風景
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                 秋の始めの風景
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                 秋の始めの風景
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                  秋の始めの風景
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野反湖の手前にこんな立て札が建っています。幕末の徳川幕府の重臣。小栗上野介の夫人道子さんは身重の身ながら従臣たちと夜陰に紛れ、ここから地蔵峠を通り秘境秋山郷から長岡藩へと落ちて行きました。

小栗上野介は井伊大老の命により遣米使節としてアメリカに渡ったり、帰国後は外国奉行・勘定奉行など重要な職に着きました。しかし薩摩長州との鳥羽伏見の戦で幕府軍は破れ将軍の慶喜は、戦半ばで大阪より開洋丸に乗り、数人の妾婦たちと江戸に帰ってしまいました。江戸城で恭順か主戦かで論争があり、小栗は慶喜に「大将が戦場を逃げて戦が勝てる訳が無い」と叱責しました。そして彼は榎本武楊などと主戦を論じました。官軍が箱根を越えたら、まだ関東以北のたくさんの幕府軍が迎え撃ち、後方の静岡かからは当時、官軍より圧倒的に強かった海軍が、後方から挟み撃ちにすれば勝てると小栗は論じました。しかし慶喜は自の保身のみ考えていて、袴に取りすがりながら訴える小栗を罷免してしまいました。

                  野反湖の手前に建っていた立て札
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小栗は罷免される以前に、莫大な費用がかかる造船所を造るより、輸入したほうが安上がりと言う重臣たちの反対を押し切って、浦賀に造船所を造りました。それは周りを海に囲まれた、日本の今後の為に絶対に必要と感じていたからです。
罷免された小栗は故郷の旧倉渕村権田に戻り一市民として過ごしていましたが、官軍は彼を恐れていたのか、無謀にも斬首してしまいました。そんな事を、うすうす感じていた小栗は妊娠中の奥さんと母親を長岡から会津へと逃しました。

                  道子さんが逃れた地蔵峠のお地蔵さん
画像


道子さんは秋山郷から長岡藩へと落ちて、最後の頼りの会津に無事着き、女子のクニ子さんを産みました。会津が官軍に破れた後はさんざん苦労して東京に逃れました。

時が経ち日本は中国(清)の支配をめぐりロシアと戦争になりました。東郷平八郎率いる日本海軍は、当時世界一と言われていたバルチック艦隊を日本海で迎い打ちこれを見事に破ってしまいました。当時の欧州では黒人や黄色人種は下等な人間と思われていて、奴隷のように扱われていました。東洋の一島国が大国ロシアを破ってしまったことは、欧州の人達には信じられない出来事でした。日本海海戦後、明治政府は小栗が浦賀に造船所を造ってくれた為に勝てたとして、小栗の娘クニ子さんに感謝状を贈っています。勝海舟は江戸を救ったとして有名ですが、彼の好敵手、小栗上野介は日本を救い、東洋人を救いました。

   そんな昔のことに思いを馳せながら少し暗くなり掛けた峠を下りました。




                  樹林ぬけて眩しき尾根は秋始め







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コメント(32件)

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インレッドさんこんばんわ、今日はゆっくりパソコンに向かっています
早いですね、もう昨日の作品が出ていますね、私も野反湖は一度行きました、今回は色々な写真が載っていますね、山の風景が、紅葉みたいですね
私も昨日、福島へきのこを採りに行ってきました15種類採りました
今度インレッドさんのブログに私の作品(きのこ、山菜の写真)を載せて
ください、よろしく
きのこ
2007/09/23 22:27
きのこ さん、早速コメント有難う御座います。
きのこさんは、どこのプロバイダーでインターネットをやっていますか?。blogの出し方はそのプロバイダーによって違います。私は
biglobeでやっています。きのこさんがbiglobeならば電話でも教えることが出来ますが、それ以外ではパソコンを見てやら無いと出来ません。
そのうち暇を見て教えますので、自分でblogを出して楽しんで下さい。
インレッド
2007/09/23 22:41
インレッドさん、早速返事ありがとうございます
ブロバイダーは、ぷららです、だんだんブログをやりたい気持ちが
高まってきました、そのうち教えてください
きのこ
2007/09/23 22:48
きのこ さん、そしたら、時々ぷららのホームペジから、ぷららのブログを時々覗いて見てください。ぷららにも大勢の人がブログを出していると思いますし、ブログの作り方もそこに載っていると思います。最初から画像をいっぱい載せたり文章を書いたりしないで、画像1枚に文章をちょっとだけ書いて載せて見て下さい、そのうち解ってきます。
インレッド
2007/09/23 22:56
インレッドさん、わかりました
ブログが出来たら連絡しま〜す。
きのこ
2007/09/23 23:08
きのこ さん、頑張ってやって見て下さい。
そのうち楽しくなりますよ。出来たらコメント
入れますから教えてください。
インレッド
2007/09/23 23:25
秋の便りありがとうございます。日に々、山が色ずいて来るのでしようね。
小栗上野介の夫人道子さんのお話、写真を見ながら想像してしまいました。
30歳で、夫と別れ、身重の体で、まだ雪があった山を越えた、と思うと精神の強さに,感心してしまいます。
江戸から明治の厳しい環境の中、さぞかし大変だったかと、おもいます。
道子夫人を支えた人達も、偉いですね。
道子夫人は、国子さんを連れて、東京に出てきて、大隈重信が、国子さんを育てた、と聞いていますが、そうなのでしょうか。
インレッドさん、ご存知ですか。
magunoria8739
2007/09/24 09:36
magunoria8739さん、お早う御座います。
道子さんとクニ子さんはその後、義太夫の旅芸人の中にまぎれて、駿河台の自宅に戻りましたが、そこには官軍の土方久元(後に公爵)が住んでいました、実家の建部家は官軍に遠慮して家にも入れてくれませんでしたが、小栗が勘定奉行のころ面倒を見ていた豪商三井の大番頭 三野村理左衛門が色々と面倒を見てくれたようです。その理左衛門が亡くなり、道子さんが亡くなった後はクニ子さんは、大隈重信に引き取られました。大隈重信の奥さんは小栗上野介とは従兄弟どうしで一時は小栗家に住んでいたこともあったようです。クニ子さんは後に大分県士族 矢野程蔵の三男貞雄を婿として、前島密の媒酌で結婚しました。その子孫の16代小栗又一郎さんは今でも現存しているそうです。
インレッド
2007/09/24 10:18
インレッドさん、こんにちわ
 白砂山だけでも大変と聞いているのに佐武流山まで、まして笹の藪漕ぎとは大変ででしたね。お疲れ様でした。
 22日は妻と一緒にパルコール嬬恋のゴンドラ(海抜2,050m)を利用して四阿山へ登ってきました。根子岳や裾の谷、米子大瀑布らしき所も見えました。インターネットが具合悪く四回目です。テスト消してください
まきまき
2007/09/24 10:32
まきまき さん、こんにちは。
22日は良い天気でよかったですね。私はパルコールからは一度も登ったことがありません。鳥居峠からと根子岳経由で登った事があるだけです。
奥さんと二人で美味しいオニギリ食べてきましたか。私も今回はオニギリを作ってもらい4個も食べてきました。コンビニで買うよりやっぱり手作りのほうが美味しいですね!!。
インレッド
2007/09/24 11:02
インレッドさん、詳しく教えて頂き、有難うございます。
博覧強記で、驚いてしまいます。
来年、4月に、明治大学博物館(駿河台)で、小栗上野介展をやる、と聞きました。 時間が出来たら行ってみたい、と思っています。
インレッドさんは、色々な事を、ご存知なので、知っていたら、教えて頂きたいのですが、神奈川大学の初代総長、林頼三郎の事は、ご存知ですか?
magunoria8739
2007/09/24 21:08
インレッド様、今週もお元気ですね〜!

白砂山は以前一度だけ行った事がありますが、稜線・山頂は見事にガスで展望ゼロ、近年の佐武流も山頂はガスで、どうも、登った気がしません(笑)。いいな〜こんな展望、見てみたいな〜と、お写真、感心しながら拝見しました。・・・私も、再度、登り直さなきゃ・・・。
テントミータカ
2007/09/25 00:47
magunoria8739さん、お早うございます。
たまたま小栗上野介のことはしっていただけです。林頼三郎さんのことはあまり知りませんが、magnoria8739さんのご親戚でしょうか?。ただ以前行田市にある忍城を見学したら、そのときのパンフレットに藩医の息子で郷土の偉人と書いてありました。検事総長や司法大臣などを歴任したと書いてあったような気がします。
インレッド
2007/09/25 09:08
ミータカさん、コメント有難う御座います。
白砂山は昨年も今頃、登っているのですが、その時は怖い雷で山頂を踏まずに降りてしまいました。本当はミータカさんが登った秋山郷から佐武流へ行こうかとも思ったのですが、こちらからの方が展望が良さそうなので、こちらから登って見ました、相当な藪漕ぎと聞いていましたので、行ける所まで行こうと思いましたが、秋山から佐武流へ行く道が出来てからはこちらからは残雪期以外は縦走する人がいないようで、踏み跡は全くありませんでした、たまに古い赤テープがあるくらいで、早々に白砂山に戻り下山しました。
インレッド
2007/09/25 09:22
おはようございます。
忍城に行かれた、と聞いていたので、林頼三郎の家族の事が、分るかと思いました。検事総長をしていた時、祖母が、訪ねて行ったら、偉ぶらないで、笑顔で迎えてくれた、と言った話を、聞いた事が有るので、家族の事を知り、出来ればお会いしたい、と思いました。


magunoria8739
2007/09/25 09:59
magunoria8739さん、今晩は。
林頼三郎さんの御家族さんのことはちょっと解りませんが。、もしかしたら行田市役所にでも行けば解るかも知れません。御親戚なのでしょうか・。
インレッド
2007/09/25 18:59
この週末は、白砂山でしたか。展望も楽しまれたようで、良かったですね。私が、以前5月2日に歩いた時、白砂山から佐武流山へは、4時間40分かかりました。雪の少ない年でしたがそれでも残雪を使えたこと、一方、泊まりの大型ザックを背負っていたことを考えても、今の季節ではそれ以上の時間はかかるのではないですかね。以前は、5月連休には、佐武流山アタックのため、白砂山山頂付近にテントが並んだのですが、現在は秋山郷から登れるため、この区間を歩く登山者も格段に少なくなって、雪消えの早い痩せ尾根の踏み跡もどんどん薄くなっていると思います。
小栗上野介夫人は、長岡から会津に移動したのですか。八十里越えをしたわけですが、これもまた難路ですね。
さすらい人
2007/09/25 22:22
さすらい人さん、今晩は。
そうですね、最近は秋山郷から佐武流に行く道が出来てからは、こちらからは行く人はあまりいなくなったようです、古い赤テープが少しあるだけでした。白砂から4時間40分も掛かりますか、今回は行ける所まで行って見ようと思いましたが、ちょっと行っただけで諦めました。
インレッド
2007/09/25 23:03
こんにちは!
白砂山はダンナが狙っていた山なんですよ。
私の膝がこんな状態でなかったら、
この夏に登っていたかもしれません。
こんな素敵な眺望を見せていただいたので
早く膝を治して、来年こそは登ってみたくなりました。
mikko
2007/09/25 23:33
mikkoさん、お早う御座います。
膝の具合はまだ治りませんか?。あまり無理をしないほうがいいかも知れませんね、膝に楽な山もたくさんありますから、あまりあせらずに「ゆるゆる」とお直し下さい。
インレド
2007/09/26 08:57
おはようございます。
色々有難うございます。林頼三郎は私の曾祖母の叔父にあたる人で、江戸から明治の時代、苦学したと聞いています。
私の叔父(今、85歳)は曾祖母からその時代の事を聞いているのですが、私として、知りたい事が、沢山あるので、家族の事を、知りたく思いました。 行田市役所に聞いてみます。
magunoria8739
2007/09/26 09:40
おはようございます。
手付かずの山は自然が残された山です。
自然林が残り、四季の移ろいが肌で感じられそうです。
(下ったあと、温泉も麓にあるようですし)
以前にも峠の哀史の話がありましたが、山お越える、嶺を越える時、此方側からあちら側へ移る、なにか世界が変わる気がします。
道子さんが地蔵峠を越えた季節も秋だったのでしょうかね。
思いは巡ります。
本読みと山歩き
2007/09/26 09:56
もう 秋色になってますね!
この山 仲間がねらってます。私も便乗しょ〜っと♪
俳句も作るのですね! 
秋始め、、、響きの良い言葉ですね〜☆☆☆☆☆
ぶん
2007/09/26 16:35
本読みさん、今晩は。
道子さんがここを通ったのは旧暦の6月だったそうですが、現在の装備で歩いてもかなり大変な所です、それを身重の体で夜に越えたのですからさぞ難儀なことだったと思います、さらに長岡が官軍に破れた後は八十里越えをして会津に行ったのですから、凄いですね。
この山の麓にはどちら側にも温泉がたくさんあります。群馬側には「尻焼き温泉」がありその名のようにお尻が焼けるほど熱い温泉で、近くの川原も温泉になっています。紅葉をみながら川原の温泉なんていいものですよ。
インレッド
2007/09/26 18:37
ぶん さん、今晩は。
荒沢から兎・丹後山は良かったですね。大水上山の尾根の斜面には夏になるとハート形の雪渓が残ります。そのハートの一滴が大利根川の最初の一滴です。大水上山は群馬の最奥の山で別名「利根山」です。このあたりからは、手の届きそうなところに平ガ岳も見えて、ここの草原歩きは本当に良い所ですね。
ここ白砂山も少し似たようなところです、尾根に出ると眺めは中々いいですよ、ぜひ起こし下さい。新潟の秋山郷から佐武流を越えても来れます(但し残雪の頃に)。
インレッド
2007/09/26 18:48
magunoria8739さん、今晩は。
magunoria8739さん家には、凄いご先祖様がいるのですね。今ネットで調べてみたら、お父さんは忍城のご典医だったようですね、そのお陰で兄弟は皆勉強家だったようです。お父さんが製粉業で失敗してからは、苦労して働きながら勉強をして、裁判官や母校の(中央大学)学長もやったようです。
インレッド
2007/09/26 19:00
インレッドさん、こんばんわ。
調べて頂き、有難うございます。最近私は、江戸から明治に、生きた人に、関心があり、これから勉強をして、楽しんで生きたいと思っています。
先祖の、林頼三郎は、立派な人ですが、その後はいません。
私も周りにいる親戚も、もっと勉強しておけば良かった、と言っています。
magunoria8739
2007/09/26 22:44
magunoria8739さん、お早う御座います。
苦労して世に出る人・そうでない人、世の中いろいろ
ですが、後悔しないように、今現在を一生懸命に
生きていれば、それでいいのでは・・・
インレッド
2007/09/27 09:22
こんばんは!白砂山山頂での三人衆の一人です。
写真が載ってて嬉しかったです。
昨日から一泊二日で槍ヶ岳へ登ってきました。
北アルプスはいいよとおっしゃっていたので、
いてもたってもいられなくなってしまって…。
かなりきつかったですが、
景色は最高でした。
また、どこかでお会いしましょう。
じゅん
2007/09/27 20:45
じゅん さん、コメント有難う御座います。
早速槍ヶ岳に行かれたのですか、若者はいいですね、思い立ったら直ぐに出かけられる。毎週歩いていますから、きっとまた何処かで会うかも知れません。その時を楽しみにしています。
インレッド
2007/09/27 20:52
 遅くにお邪魔します。このところばたばたしており、さっぱりパソコン覗けなくなっていました。
一昨年、滋賀一の瀬から岩菅山に登り切明まで縦走した折、佐武流山と白砂山、それに鳥甲山が良く見えました。良さそうな山なので、今年の登りたい山の中に入れていたのですがまだ実現していません。
今回のインレッドさんのレポと皆さんのコメントで様子がつかめ大変参考になりました。今年がダメなら来年には是非行ってみたいと強く思いました。ありがとうございます。
小栗上野介の話も興味深く読ませていただきました。名前は知っていましたが、山にまつわるこういう逸話があるとは知りませんでした。
いろんなことを知っていると山歩きも一層楽しくなりますね。
甘納豆
2007/09/28 08:58
甘納豆 さん、お早う御座います。
お忙しいところコメント有難う御座います。今週は山には行かれなかったのかなーと思っていたら、今ブログを拝見して見たら蔵王に行かれたのですね。「登山」テーマでいつも見ているのですが、今回はうっかりして見過ごしたようです、申し訳ありませんでした。
岩菅から切明は相当アップダウンがありそうですね、昨年岩菅に登ったとき、そちらへの登山道が良く見えたのですが、かなりきつそうでした。
インレッド
2007/09/28 09:46

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