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zoom RSS 真っ赤なヤマツツジの咲く山。  2009/5/19日

<<   作成日時 : 2009/05/21 16:00   >>

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このあたりではヤマツツジの花は裏山や山裾に、どこに行っても咲いている花で、それ程珍しくはありません。ヤシオツツジやレンゲツツジなどは、その花を見に山に出かける人も沢山居りますが、わざわざこの花を見に山に登る人はあまり居ないと思います。

                  榛名富士とヤマツツジ
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しかし榛名山付近のヤマツツジは朱色のヤマツツジではなく、
真っ赤なヤマツツジで、中々見ごたえがあります。そんなヤマ
ツツジを見に、二日も仕事だったゴールデンウイークの代休を
取って歩いて来ました。

                  長峰公園付近より伊香保温泉街方面
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榛名山付近のヤマツツジはどうして真っ赤な色をしている
のでしょうか?・・・・。

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昔々榛名山の麓に箕輪城がありました。領主長野業政は民衆政治をモットーに、領民にも

愛された領主でした。彼は戦国時代、関東管領の上杉憲政の重臣として、上州の地を納め

ていました。

   
              ツツジ山公園あたりより榛名富士方面
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関東管領の上杉憲政は下克上の時代、度重なる北条・武田の侵略に疲れ果て重責を捨て

家臣をも捨てて越後の長尾景虎(後の上杉謙信)の元に落ちて行きました。そして自分の

身の安全を託して景虎に上杉姓と関東管領職を譲りました。

                  ツツジ山公園より小野子山方面
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やがて関東管領となった上杉謙信は関東地方に進出して、武田・北条を追い払い、小田原城

を関東勢と共に10万の兵で攻めましたが、落とすことが出来ませんでした。その帰りに鎌倉で

関東管領就任式の際、馬上から眺めている武将に腹をたてて、その武将を殴打してしまいまし

た。その打たれた武将は武州忍城(埼玉県行田市)の城主成田下総守長泰と言う、征夷大将

軍八幡太郎義家の前でも騎乗のままの挨拶を許された武将でした。怒った成田長泰はその夜

の内に武州忍城に帰ってしまいました。それを知った関東の諸将も次々と領国へ引き上げてし

まいました。

                  
                水沢山への道
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余談ですが今本屋さんで売れている本の中に、本屋大賞第2位の本、和田 竜 著 「のぼ

うの城」があります。僅か500の忍城の兵が2万5千の石田三成の軍と戦う物語ですが、痛

快な面白さがあります。

諸将が離れて行った上杉軍に対し、北条軍は追い討ちを仕掛けてきました。越後勢と長野衆

のみになった上杉軍は命からがら厩橋城に逃げ帰り、謙信は長野業政に後を頼んで、早々に

春日山城に帰ってしまいました。

                  水沢山山頂直前
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これを絶好の好機とした、武田信玄は長野業政に対して自分の騎下に入るよう何度も使者を

送りましたが、「二君にまみえず」甲州には攻めては行かぬが、上州に甲斐軍が入ってくれ

ば何時でもこれを追い払う」と返事をしました。頭に来た信玄はこの後6度も上州に攻め入り

ましたが、その都度痛いめにあわされて、一度も箕輪城を落とすことが出来ませんでした。


                  水沢山山頂
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その頃、長野業政は寄る年なみには勝てず、病の為急逝してしまいました。跡目は息子

の業盛が若干17歳(19歳とも言われている)で継ぎ、良く上州を守りましたが、この好機

を武田軍が黙って見守るはずが無く、諜略に諜略を重ねて、以前海野城で信玄に破れて

箕輪城に逃げて来た真田幸隆や長野軍一番の武将小幡信定を裏切らせてしまいました。

                  水沢山より赤城方面
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永禄9年9月29日、周りの支城を次々と攻略され、箕輪城は上杉の援軍を待ちな

がら必死になって戦いましたが、既に藤井豊後・赤石豊前・土肥実吉と名だたる

武将も討ち死にし、城主長野業盛は大薙刀をふるい敵将馬場美濃守の陣へ突入

して最後の決戦を挑みました。縦横に暴れ、敵28人を倒し自信も矢傷を受けて

白糸縅の鎧を真っ赤に染めて城に戻りました。陣中僅か数百となった将兵を集め、

最後まで忠誠を尽くしてくれた部下に礼を述べ、生あるものは最後まで生き延び、

箕輪城と長野家の再興を頼み、城の高台にある霊木山(たまきやま)に向かい

ました。
                  水沢山より相馬山方面
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扇谷上杉から嫁に来た美人の誉れ高い業盛の奥方藤鶴姫と、まだ生まれて

間もない息子亀寿丸を、業盛は夜陰に紛れ城の秘密の通路となっている

井戸から城の下を流れる白川沿いに逃しました。榛名の山々に真っ赤な

夕日が差し、赤くなり始めた紅葉をさらに赤く彩り、その景色を存分に眺め

た後、父業政の遺言「決して降伏するべからず、力尽きなば、城を枕に討ち

死にせよ、これこそ孝徳と心得るべし」の通り自刃しました。その周りには

下田大膳・青柳金王丸・清水玄番ら側近七十余名が主人を守るように、地

を真っ赤に染めて果てていました。ここに関東管領上杉氏に親子4代に渡っ

て忠誠を尽くした、箕輪城は上杉軍の一兵の援軍も無くついに落城し、

在原業平以来の名門、長野氏は上杉謙信に勝る「信義」を尽くして滅び

ました。

・・・秋風に 萩も野菊も散り果てて 名のみぞ残る 箕輪の山里・・・

                               業盛の辞世の歌

                 霊木山付近のヤマツツジ
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この箕輪城を攻めるにあたり、信玄は家来達に二つのことを言い渡していま

した。それは芳紀17歳の業盛の奥方藤鶴姫と重臣の上泉伊勢守秀綱の

2名は殺さずに必ず生け捕りにすることでした。勿論美人の藤鶴姫は側室

にしたかったからでしょう。そして上泉伊勢守秀綱は後に「剣聖」と言われ

た武将で信玄は自分の家来にしたかったようです。藤鶴姫が逃げるであ

ろう、越後への道は厳しい探索の手が伸びていて、深夜に行動する

藤鶴姫・亀寿丸その主従は難儀をしながら、7日も経ったころやっとこの

榛名の山間に入りました。そしてこの水沢への峠に着いた頃、後ろから

かなりの軍勢の馬の音が聞こえてきました。藤鶴姫はもはやここまでと

覚悟を決め、長野氏の血筋を絶やしてしまうことを詫びながらも、愛する夫の

元に早く行きたいと、上杉に宛てた書状と業盛の遺髪を懐に入れ、

亀寿丸共々自害してこの地に果てました。

   「花も実もつけることなき野の草の いのちの中に明日の旅立ち」

                            ・・・・・藤鶴姫辞世の歌

その主従の血でこの峠も真っ赤に染まったと言われています。

時同じ頃、業盛の母も榛名湖に身を投じて自害し、後に竜になったと

言われていまた。

                  水沢峠のヤマツツジ
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藤鶴姫やその主従の血で染まってからこの峠のヤマツツジの色は翌年から、

一層赤い色が鮮やかになったと言われています。栄枯盛衰は世のならい、この時

武田軍に寝返った上州の武士もその後は武田軍の先鋒として、設楽ヶ原や

長篠の戦で、織田・徳川軍の鉄砲の餌食となり、安中一族などは一兵も地元

に帰る者は無かったと言われています。上泉伊勢守秀綱はその後武田軍

に捕まり、甲府に連れて行かれましたが、信玄の再三の口説きにも、主人と

同じく「二君にまみえず」として従わず。業を煮やした信玄は家臣10人と試合

して勝てば無事放免すると誓いました。その試合で剛の者10人と戦いこれ

を一瞬の間に撃破、改めて伊勢守の強さを知った信玄は、彼を自由放免とし

ました。秀綱は後に諸国を行脚してさらに腕を磨いて「陰流」をあみ出し伊賀の

地で柳生石舟斎にこれを伝授。やがて「新陰流」として徳川幕府の剣術指南

となり今日に至っています。

この「二君にまみえず」は表裏の無い真っ直ぐな気持ちを、今に脈々と引き

継がれ上州気質として伝えていると思います。





 ♪♪♪死んだ男の残したものは  一人の妻と一人の子供
      他には何も残さなかった  墓石一つ残さなかった

     死んだ女の残したものは しおれた花と一人の子供
      他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった

     死んだ子供の残したものは ねじれた足と乾いた涙
      他には何も残さなかった 想い出一つ残さなかった

     死んだ兵士の残したものは 壊れた刀とゆがんだ地球
      他には何も残せなかった 平和一つ残せなかった

     死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた
      他には誰も残っていない 他には誰も残っていない・・・

                            「死んだ男の残したものは」
                                谷川 俊太郎 作詞
                                武満 徹    作曲





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コメント(24件)

内 容 ニックネーム/日時
戦国の話を読みながら現代の風景を観ると、過去の皆さんのお陰で平穏な時を過ごせている事に感謝と胸つまる思いです。
何か良いですね・・・時空移動して、その時代を時間旅行している気持ちになりました。
16日先週の土曜日の飯豊の梶川尾根では、朱色ではなく真っ赤に燃える赤い色のミツバツツジが咲いていたと思っていたのですが、ここまで強い赤ではなかったです。
いつかは観に行きたいヤマツツジですね〜ぇ。
リッキー
2009/05/21 20:53
リッキーさん、今晩は。
ここのヤマツツジは本当に良い色をしています。
おっしゃる通り、過去の人のお陰ですね、今最後に歌をアップして見ました。

  死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてる貴方・・・

      飯豊は今年こそ行きます・・・。
インレッド
2009/05/21 23:01
こんにちは!
ヤマツツジ濃く深い赤が綺麗ですね。
水沢山の山頂にもこんなにたくさんのヤマツツジが咲くのですね。
水沢山はとても良い山でしたのでまたこの時期に登ってみたくなりました。
「のぼうの城」は気になっていた歴史小説でした。
文庫版が出たら通勤時間を利用して読んでみたいと思っています。
mikko
2009/05/21 23:39
おはようございます。
写真見ているだけでもきれいなヤマツツジ、そこに纏わる戦国時代の勇ましくも悲しい物語。今回もまた、有意義な朝の一時を過ごさせていただきました。
世の中大変な時期ですが、ご多分に漏れず自分も帰休と言うことで、今日はのんびり過ごしています。
明日は会山行の権現堂山ですが、この山にもヤマツツジが沢山見られます。天候は今一ですが、逆にしっとりとしたお花が見れるかも知れません。
甘納豆
2009/05/22 08:47
mikkoさん、お早う御座います。
伊香保スケート場の先に水沢山に30分ほどで行ける登山口があります。そこから水沢にピストンして、次に反対側に登ると二ツ岳(雄岳・雌岳)方面に行く事が出来ます。そのあたりもヤマツツジは沢山咲きます。二ツ岳も展望は良い山ですので、5月23日前後の頃お越し下さい。
インレッド
2009/05/22 08:52
甘納豆 さん、お早う御座います。
明日は権現堂山の本番ですか、石楠花咲いていればいいですね。天気が良ければ私も遠くの山に行きたいのですが、悪ければ近くの山で石楠花でも見て来ようとと思っています。
インレッド
2009/05/22 09:05
足元の榛名山時々車で行きますが、なかなか山を登ることがありません。灯台下暗しです。 今度時季を見て、水沢山でも登ってみようと思っています。幾回か登っていますが展望のいいところですね。
ロ−ラー
2009/05/22 11:07
おはようございます。
榛名山付近のヤマツツジは本当に真っ赤ですね。
血でこの峠も真っ赤に染まったとのこと。
哀しいお話ですが、とっても綺麗な色ですね。
戦国時代物語楽しませていただきました。
私達も日曜日に山へ出掛けてこようと思っています。
お天気に恵まれれば良いのですが、如何でしょうね〜(*^-^)♪
マリー
2009/05/22 11:14
インレッドさん 今日の切り口はまたまた・・・・最後まで読み終えて思わずため息です ふー
日本の歴史、かめは不勉強です
寧ろ中国の春秋戦国時代のほうが、どちらかと言えば知っているかもしれません。大河ドラマとやらもなにか怪しげで見たこと有りません。
読んでなかった司馬遼太郎の 街道をゆく 全43巻を並べて読み始めて1年以上? まだ1/3以上残っていましてもう暫くそちらを旅します

死んだ兵士の残したものは こわれた銃と・・・・
かめの記憶では・・・
昔、好きだった歌です あの頃を 思い出しました 
かめ・ふー
2009/05/22 13:46
こんなに近い榛名なのに・・・。こんなに綺麗な山つつじが咲いているのに・・・。赤いつつじは涙の証し、赤いつつじは恋の色、赤いつつじは好きな男が流す血の色・・・・。やばいぞ赤の話を始めると妄想と狂気の世界に引きずり込まれる・・。レッド様、久しぶりに「西村寿行」を読んでいます。でもでも二冊読んだら悲しくなりました。口直しに「篠田節子」に代わります。
  PS,今年の夏は「衣川」に行ってきます。初めての年金を使います。
しまふくろう
2009/05/22 16:18
ローラーさん、今晩は。
水沢山は高崎近辺の人達の市民の山と言う感じです。ここは毎日のように登っている人もいます。山頂にあるノートに名前を記入して降りました。相馬・二ツ岳・鬢櫛・臥牛山・天狗岩・掃部ヶ岳等展望の良い山が沢山ありますので、たまには登って見て下さい。
インレッド
2009/05/22 19:15
マリーさん、今晩は。
体調が悪い中コメント有難う御座います。
山は晴れもよし、霧もよし、また雨の風情もよし です。
その時その時間が一番良い時と思っていればいいのです。
おこがましいのですが、人生の道と同じです。苦しい
時も、哀しい時も、嬉しい時も、その時を楽しんでしまえ
ばいいのだと思うのですが・・・・
インレッド
2009/05/22 19:31
かめ さん、今晩は。
歴史は私は大好きです、司馬遼太郎が福田定一と言う本名で書いていた頃の「花妖譚」を今読んでいます。このblogはそれを少し真似してアップしてみました。

死んだ兵士の残したものは こわれた銃と・・・・。この歌は確かベトナム戦争の反戦歌として創られた歌と思いますが、「銃」よりこの時代は「刀」の方がいいかなと思い、ここだけ勝手に変えてみましたが、そのうち誰かが訂正のコメント入れてくるだろうと思っていました。さすがに、かめ さんが入れてくるとは予想していませんでした。恐れいりました。
インレッド
2009/05/22 19:41
魅 さん、今晩は。
夏は衣川ですか、いいですね。私はとっくの昔に年金は貰っているのですが・・・。
篠田節子は「女たちのジハード」を少し読みましたが、頭が痛くなり、途中で止しました。このblogに書いた「のぼうの城」痛快で面白いですよ。読んで見てください。
インレッド
2009/05/22 19:49
藤鶴姫さん
上泉伊勢守秀綱さんの思いが
脈々と流れている地なのですね
その思いをヤマツツジさんが
現代の私たちに伝えてくれているようです
大変すばらしい物語を聞かせてもらいました

RUU
2009/05/22 23:36
再びお邪魔致します。
いつものアレルギーなので自分の中では想定内だったのですが、今回は「無気力・・・」と云う物に好かれてしまったようです(^o^;)
とは云え 家でウダーッとしている訳にもいかないので 折角のこの気分の時にとパワーストーンを選びに行ってきました。
<苦しい時も、哀しい時も、嬉しい時も、その時を楽しんでしまう>
と云うインレッドさんのアドバイスを納得しながら読ませていただきました。
少し心の向きを変えてみますね♪
少しでも多く楽しい時間を過ごしたいですから(*^^)v
温かいお心遣いをありがとうございました。
ホントにとても嬉しかったです(*^_^*)
これからも宜しくお願いします(*^-^)♪
マリー
2009/05/22 23:43
RUUさん、今晩は。
今にその想いを伝えている訳ではありませんが、そう思いながら眺めれば、平凡な花でも美しい味のある花に見えませんか??。アバタも笑窪です。嫌な人がいても良い所を見てやれば、それ程嫌いにはならないと思うのですが・・・
インレッド
2009/05/23 21:35
マリーさん、今晩は。
以前、北アルプスのど真ん中にある水晶岳(黒岳)と言う山に行きました。そこには名前の通り、水晶の入った石が沢山登山道に落ちています。あまり大きくは無いのですが、それを土産に拾ってきて、B子ちゃんにあげました。水晶は逆境をはねかえすと言われていますが、B子ちゃんはその通り逆境を逆境と思っていません、それだけは良かったと今でも思っています。
良い物は良いと信じていれば、大丈夫です。
インレッド
2009/05/23 21:56
始めまして。
埼玉に住む私は、いつも謙信さんは田舎の武士だなと思っていました。忍城の成田氏を知らないなんて、関東の武士には考えられないことだったと思います。ここまで忠誠を尽くした、長野氏に援軍を出さなかった、なんて「義」が鳴きますね。
hana
2009/05/24 13:09
今日は。面白く読ませてもらいました。
私は剣道を少しやりますが、上泉伊勢守
が上州の人とは知りませんでした。今の
剣道の祖はやはり上泉伊勢守だと思います。
nori
2009/05/24 13:12
hanaさん、今日は。
そうですね、成田氏は上杉よりも名門ですよね。
「のぼうの城」読みましたか。この時代こんな
武将がいたのかと思うと、本当に痛快です。
インレッド
2009/05/24 13:15
noriさん、今日は。
カメラばかりでは無く、剣道もやっていたのですか、伊勢守は剣道を理論付けて研究し今の剣道に大きく貢献していると思います。
近いうちにまたそちらの山に行こうと思っています。
インレッド
2009/05/24 13:18
高崎の花火から、以前の記事にやってきました。
「死んだ男の残したものは」の歌は、
遠い昔に口ずさんでいたはずなのにメロディーがでてきません。
もどかしいですが、そのうちひょいと口をついて出てくる…かしら。
それにしても、この歌が谷川俊太郎と武満徹の作品だったと
今初めて知ったように思うのが、ちょっとショックな私です。
pallet
2011/09/02 10:53
palletさん、今日は。
返事が遅れて申し訳ありませんでした。
「死んだ男の残したものは」長谷川きよし さんかなー?
歌っていたと思いますが、メッロディーは私も忘れました。

こんな歴史も好きで、山に行っても時々はその山の歴史が気になる事もあります。何も知らないで登るよりは少しは知っていた方が山登りも、また楽しくなります。
インレッド
2011/09/04 12:06

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真っ赤なヤマツツジの咲く山。  2009/5/19日 インレッド残照録/BIGLOBEウェブリブログ
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