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<<   作成日時 : 2011/03/24 09:34   >>

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そろそろ雪深い新潟の山々にも、今年は特に遅い春がやっと来て、雪割草始め春の儚い花々が咲き始める季節になりました。その雪割草(オオミスミソウ)のピンクや紫や白い色が山を彩り、カタクリの花が踊るように咲く山並みが越後の弥彦から国上あたりの山々です。

                  雪割草
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その国上山の麓、地蔵堂村に、毎日托鉢をしながら、子供たちと遊んでいた、良寛さんが住んでいました。良寛さんの歌に

    あずさゆみ 春は春ともおもほえず すぎにし子らがことを思へば

    人の子の遊ぶを見れば にはたずみ 流れる涙とどめかねつも

    この里の往き来の人はあまたあれど 君しなければ さびしかりけり

                                こんな歌があります。

                   良寛さんが住んでいた五合庵
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地蔵堂村を始めこのあたりの蒲原地方は信濃川の氾濫が度々あり、飢饉もありました、年貢を納められない親は隣り組に迷惑をかけるのを避けるため、子供たちを身売りしました。毎日手毬突きやオハジキをして遊んでいた幼い子供たちが、売られてこの村から一人二人と居なくなり、その行き先を心配して歌った歌です。良寛さんは売られた女の子がどんな生涯を送るのかは良く知っていましたが、貧乏な自分にはなにも出来ないことを悔やんで歌ったに違いありません。

                  子供らと遊ぶ良寛さん
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群馬県太田市木崎地方に大通寺と言う寺があります。その一角に沢山の「飯盛女の墓」が今でもあります。

     そこに  転心妙覚信女  越後蒲原郡地蔵堂村
           俗名 ちか 享年21歳 
           享和元年酉九月一四日

           妙栄禅定尼   越後蒲原郡次新村
           俗名 かん

           
           妙道善女  越後蒲原郡三条左
           俗名 くみ


   中にはこんな長文の碑もあります

           清滝信女  北越後長岡産
            俗名  滝
           幼年より反哺(親孝行)のため当所のちまたに奉公し
           罷在 疾して行年二十二にして身まかりぬ、念悼みて
           是に立碑するものなり
           施主 日野金井和泉屋主人

ちかも かんも くみも滝も 皆女衒に連れられ、母が持たせてくれた渋塗り紙に包まれた風邪薬や腹薬だけを背中に背負い、難所の二居峠を越え、まだ雪の残る三国峠に着きました。途中何度も女衒の「上州に行きゃー、暖っけいし、良いベペ いっぺい着せてもらって、旨えーもんいっぺい食えるでー」と言うのを上の空で聞いていました。これから先、自分達の前にはどんな生活が待っているのかは、15歳になれば薄々は解っていました。

                  三国山
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三国峠に着くと越後の空は、相変わらず鉛色の重い雲が垂れ込めていました。反対側の上州の空は青空がいっぱいに広がり、既に山々には雪も無く、木々は芽吹き始めていて、峠を降りれば何か良い事がありそうなそんな希望が少しは湧いてきました。

                  現在の三国峠
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しかしながら彼女達の行き先は、上州新田郡木崎宿の例幣使街道沿いの旅籠でした、少々大人になるまでは畑仕事や家事を手伝い、一人前の女になれば昼は畑仕事をして夜になれば、飯盛女として体を売って働きました。

彼女達の休みは月に二度ほどと盆と正月くらいでした。月に二度の休みは、近くの大通寺あたりまで、お参りに行くのが精々で、それより遠くに行く事は許されませんでした。大通寺の前の広場では毎年夏の盆踊りが賑やかに催
されてそれが一番の楽しみでした。


ある夏の盆踊りの日、近くの回船問屋の主人とその孫娘と丁稚がやはり盆踊りを見に来ていました。その時孫娘が踊りに見とれて歩いているうち、転んでしまいました。近くにいた ちか が助け起こしましたが、その時主人が「バイター 汚ネー さわるなー」と怒鳴り ちか を蹴飛ばしました。それを見た 滝 は「なめるんじゃ ねいよー、あたい達のどこがキタネ− か得と見て貰おうじゃねいか」と言って帯を解き、着物を脱ぎ始めました。主人は急ぎ逃げて行きましたが、追い討ちを駆けるように「私たちゃー 好きでこの商売をやってるわけじゃねいよー、親兄弟を助け、隣組の人達を助けるために身を売ってるんだー そんじょそこらの娘とは訳が違うんだーっ 解ったかートウヘンボク」とタンかを切りました。 

盆踊りに歌われる歌は上州では八木節音頭が一般的ですが、その元は木崎節から来ていると言われています。その木崎節は越後の蒲原くどきから来ているようです。やはり越後からこの地に来て遊女をしていた「さわ」と言う女性が美声でいつも、故郷を思い歌っていたのが流行ったものと言われて居ます。

                  木崎節
              木崎街道の三方の辻に
              お立ちなされし色地蔵様は
              男通れば石とって投げる
              女通ればにっこり笑う
              これが木崎の色地蔵様よ
              
              越後蒲原どす蒲原で
              雨が三年日照りが四年
              出入り七年困窮となりて
              新発田様にはご上納ができぬ
              田地売ろうか子供を売ろか
              田地は小作で手がつけられぬ
              姉はジャンカで金にはならぬ
              妹売ろうとご相談きまる

              私や上州へ行って来るほどに
              さらばさらばよ父さんさらば
              さらばさらばよ母さんさらば
              まだもさらばよ皆さんさらば

              新潟女衒にお手々を引かれ
              三国峠のあの山の中
              雪がボサ降り手は冷たいし 
              やっと着いたが木崎の宿よ
              木崎宿にてその名も高い
              青木女郎屋と言うその家で
              五年五ヶ月五五二五両
              
              長の年季を一枚紙に
              封じられたはくやしはないが
              知らぬ他国のぺいぺい野郎に
              二朱や五百で抱き寝をされて
              美濃や尾張の芋掘るように
              五尺からだの真ん中ほどに
              鍬も持たずに掘られた
                     くやしいなー 

(この歌は少し猥雑な歌になっていますが、蒲原くどきを変えて、客達が揶揄して歌ったもののようですが、飯盛女たちの境遇を表わしいます。)  

滝・ちか・かん・くみ達も賑やかに歌いながら宿場に帰りましたが、家が近付く頃には、みな押し黙ってしまい。かんやくみは泣きながら歩いていました。きっと故郷の両親や花咲く山々や日本海の夕日を想い出していたのでしょう。

                  出雲崎の夕日の丘
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そんな事があって直ぐに滝は労咳で、夢に見た年季を終える事無く、この世を僅か22歳で亡くなりました。キップの良かった滝は主人にも、他の同僚達にも好かれて居た様です。通常は飯盛女の墓には白木が一本立っていれば良いほうですが、滝は前掲のような石碑に長い文まで書いてあります。

そして滝が亡くなった翌年、ちかも同じく労咳で21歳の生涯を終えました。その枕の下には絵が好きだった、ちかが病の床で淋しく描いた雪割草の絵が涙のためか少し滲んで描いてありました。世間の人達にはさげすまれた彼女達ですが、本当は身をもって家族の困窮を救った観音様のような人達でした。故郷の雪割草やカタクリのように、彼女達もまた儚くて短い生涯を終えたのです。

      日本海へ落ちる夕日が、特に赤いのは、哀しい彼女達の想いを映しているからでしょうか??。
                  国上山山頂より
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 何も出来ない良寛さんは、ただただナムアイミダブツと祈るばかりのようでした。
 そんな心情を表わした歌があります。

     おろかなる身こそ なかなかうれしけれ
                 弥陀の誓いにあふと思えば

     草の庵に寝ても醒めても申すこと
                 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

                  出雲崎の実家辺りから母の故郷佐渡を眺める良寛さん
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      計画停電の中バッテリー付きのノートパソコンで徒然なるままに記事にしました。ご笑読下さい。







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コメント(17件)

内 容 ニックネーム/日時
インレッドさん
お元気そうで良かったです。
地震から2週間が経とうとしていますがいまだに余震がありブラス放射能ですから買い物に行くにも憂鬱は気分になります。

昨年、一昨年とこの季節に新潟に行った事を思い出しながら読ませていただきました。
心が落ち着きました。
出雲崎の夕日の写真、素晴らしいですね。
計画停電でご不自由の中、ありがとうございました。
izumi
2011/03/24 11:44
こんにちは
この記事を読ませて貰う度に身につまされるものがあります。
私達は良い時代に生まれてきたんですね。以前の記事を読んでから、峠を通る度に「手向け」が頭に浮かびます。
そして、まさに今のこの時代が峠なのかも知れませんね。
達磨の次男坊
2011/03/24 13:48
インレッドさん、こんばんは♪
もう、雪割草の季節ですね。
私も角田山、弥彦山と2年続けて越後の山に行きました。
今年はちょっと遠くなりそうです。
哀愁あるお話を拝読して、感慨深くなりました。(^^)/
クロちゃん
2011/03/24 18:37
今年はぜひミスミソウを
どこでもいいから見に行きたいと思っていましたが・・・。
五合庵、もう20年以上も前に行ったことがあります。
とてもいいお話を読ませていただきました。
nousagi
2011/03/24 18:49
izumiさん、今晩は。
今日も谷川が真っ白に見える、みなかみ町に用事があり行きましたが、本当に真っ白い山並みが美しかったです。早速今週辺り行きたいのですが、まだ余震もあり妻が心配でもありますので、行けるかどうか???。
そろそろガソリンの心配は少しづつ無くなって来ましたが、値段が高くなりましたね。今年も角田近辺にも、守門辺りにも行きたいとは思って居ますが・・・。
インレッド
2011/03/24 19:55
達磨の次男坊 さん、今晩は。
今日の新聞に戦後は終わった、これからは災後を生きなければ・・・。それには国民を引っ張る強力な政治家が必要と書いてありました。そんな政治家が出てくれば良いのですが・・・。雪割草は弥彦・角田山辺りにはたくさん自生しています500mくらいの山ですから是非見に行ってみてください。
インレッド
2011/03/24 20:01
クロちゃん、今晩は。
角田・弥彦には行きましたか、隣の桧曾山は簡単に登れて雪割草はたくさん咲いています。さらに隣の国上山にも結構咲いています、そこには五合庵もありますので是非見に行って見てください。
インレッド
2011/03/24 20:06
nousagiさん、今晩は。
雪割草は角田の隣の桧曾山にもたくさん咲いています。弥彦にも裏から(日本海側)登るとかなり咲いて居ます。角田は日本海や灯台を眺めながら、下りられるので風景も楽しい景色です。遠いですが皆さんで是非登って見て下さい。
インレッド
2011/03/24 20:11
インレッドさん、おはようございます。
読み進めていてちょっと胸が締め付けられる気持ちになりました。でも、そこで終わっちゃいけないなって。
昔の話だけれど、それを見て、聞いて、感じて。
そして考えて、その先に繋げられるものがあると思った。
良寛さんが直接その子供たちを救うことができなかったとしても、残された歌から何かを得た人が必ずいて、パワーに変えていると。も。
だから私は「何もできない」って言ってしまったことが、本当にそうか、改めて考えました。きっと今…直接的に大きな力にならなくても、間接的に自分にできることは沢山あるはず。本当に小さなことでも。
そんな風に思わせて頂けました。ありがとうございます^^
胡桃
2011/03/25 07:48
胡桃 さん、今晩は。
いつもながら、さすがに鋭い感覚ですね。人間は皆 直接か間接的に繋がっているんですね。それが人間の社会と思います。良寛さんのような慈しむ心があれば、それだけで充分人を癒し助けていると思います。
インレッド
2011/03/25 17:34
テントミータカ さん、今晩は。
お忙しい所、気持ち玉有難うございます。
地震の翌日に当時のブログにコメント入れたのですが・・・。
一日も早く山登り再開して下さい。

チキン ハートさん、今晩は。
気持ち玉有難うございます。

含胡亭片靴 さん今晩は。
気持ち玉有難うございます。
インレッド
2011/03/25 20:05
お早う御座います。イヤー泣けました。
何度か三国峠は通ったことはありましたが、
こんな物語が秘められた峠とは知りませんでした。
しかし新潟には詳しいですね!!。
nori
2011/03/26 06:43
おはようございます。
今回は、遠足のページから入って、以前の記事と合わせて見せて戴きました。
入口が違うだけなのに、印象が一層深まるのは何故でしょう。
「三国山で思ったこと」が今回は、雪割草と出雲崎の映像を介して切々と伝わってきました。
そして、何故この時期にとも思いました。
やはり、心の中に“越しかたと行く末わけし雪峠”の雪を震災と置き換える何かが去就したのではと思っています。
為す術も無い身に響くレポでした。
甘納豆
2011/03/26 09:15
おはようございます。
三国峠は先週上越新幹線で傍を通りました。山深いところでした。
峠には物語がたくさんありますが、こんな悲しい物語も。
良寛さんもまた、暖かく。
日本海の夕日の美しは格別でした。
こんな物語を思いながら、いつかゆっくり歩きます。
本読みと山歩き
2011/03/26 09:23
noriさん、今晩は。
この峠には、坂上田村麻呂から謙信さん等多くの名のある人が通りました。その人達の名前が書かれた看板もあります。しかし女衒に連れられて通った人達の名は在りません。社会からは抹殺された人達ですが、昔の日本の農家をある意味で助けた人達でもあります。これからの日本も少し大変な時代になりそうですが、こんな名も無い人達が低辺を救って行くのかも知れません。
インレッド
2011/03/26 19:49
甘納豆さん、今晩は。
そうなんですよ、頑張れ 頑張れと口や文章ではいくらでも言う事が出来ます。本当に被災地の人達の事を思っているのならば、節約は勿論ですがやはりその人達の身になって思う事が大事と思います。
以前の「三国峠で思うこと」はちょっと大雑把な記事でしたので、少し細かく今回は人を思う「心」の持ち主の良寛さんの立場から記事にして見ました。

みんなが家にいてばかりでは日本の経済も発展しませんし、そろそろ破壊の画像ばかりではなく、美しい山の画像を見て見たいとも思っていますので、明日あたりは近くの・・・。
インレッド
2011/03/26 19:59
本読み さん、お忙しい所コメント有難うございます。
こんな時代になってしまいましたので、良寛さんのような人を思う「心」が大事と思います。人を慈しみ会いながら生きて行けば、苦労は幸せに変えられます。今回我が家に居たB子ちゃんから、そんなことを沢山教えてもらいました。その思いを皆が持っていれば災後の苦しい生活を乗り越えて行けると思います。
インレッド
2011/03/26 20:06

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